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mr.gonsukeの感謝するから幸せになれる
素直な心・感謝の気持ち・謙虚な姿の3つを日々心がけています。松下幸之助氏、鍵山秀三郎氏の経営学に影響を受けた42歳です。
震災から12年
あの大地震から早や12年が経過しました。

丁度あの時は、兵庫県宝塚市に住んでいました。

あの時の職業は、高校教師でした。

当日が「創立記念祝賀会」ということで、いつもより少し早起きをしなければならず、5時30分に目覚ましをかけていたが、起きれずに何回か止めていた。昨晩は生まれて三ヶ月目の長男の夜鳴きでなかなか眠れずにいたので、朝早や起きに苦戦していた。

そこで、5時47分でしたか、急に床が縦に大きく揺れ始めたのです。

たぶんこれは夢を見ていると思いました。

今までこんな経験は一度も無いからです。

あっという間に、嫁入り道具のたんすが目の前に倒れてきました。

横に寝ている妻の顔を見ることができず、あっという間にたんすの下敷きに。

「しゃれならんぞ!」と大声で叫んだのを覚えています。

早く悪夢から覚めろよ!リアルすぎるぞ!という意味でした。

しばらくして、揺れはおさまりましたが、家の家財は無茶苦茶。

真っ暗な中、家内に声をかけました。

そして、ぞーっとしたのです。

たんす扉がが、観音開きで家内の頭のところで開いたまま倒れているのです。

扉が開いていなければ、頭に直撃だったと思います。

でも生後三ヶ月の長男の声はしません。

火事場のくそ力でたんすを押しのけて、赤ちゃんを探しました。

普段は川の字で寝ていたので、家内の位置に赤ちゃんが寝ていたのです。

前日、夜鳴きしたので朝の早い私に配慮した妻が、たまたま一番端に赤ちゃんを寝かせていました。

幸いにも一番端には、たんすではなく上着をかけるラックがあり、当時の私の職業柄でダウンジャケットや防寒タイプのトレーニングウェアなどが数着かけてあったので、クッション代わりになって、怪我もなくスースーと寝ていました。

キッチンはガラスの海、外に出ると車の中に皆さん非難して、カーラジオを聞いていました。でもその時は、「何か大きな地震が・・・」程度で詳細はわからないまま。

電話は不通。携帯はまだ一般的に普及していません。

公衆電話を見つけて、大阪北部の母親に電話しました「三人とも命に別状はない」と必死に話しましたが、反応がおかしい。「ああ地震あったね。結構大きかったね。コップが一つ割れたわ」こんな程度です。

その後何回か余震があり、怖い思いをしました。

で私の地域は2、3時間後電気だけ復旧しました。

テレビをつけると神戸の悲惨な模様。

唖然としました。

そのあと西宮市の職場へバイクで、様子を見に行きましたが、想像を絶する悲惨さ。道路は地割れして段差だらけ。水道は噴出し、阪神高速は横倒れしていたのです。

学校へ向かう道のりは、地獄のようでした。近くの市民病院は怪我をした患者が外まで溢れ、アパートはくしゃくしゃになっていました。西宮市に向かえば向かうほど、目を覆いたくなる光景でした。

まだまだ、話足りませんが、住宅に携わる仕事を請けるというのは、医者と同じで命を預かる仕事だと思います。

デザインや外観も大事ですが、構造がいい加減では本当の幸せは、やってこないのです。

今もお客さんには、当時の阪神大震災のお話を必ずさせて頂きます。

一番大事なものは、お金でも車でもない。家族の命が一番尊いのです。

家づくりの原点であると私は、強く思います。
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応酬話法
以前建材商社時代に担当した某店の社長さん。

自分の亡くなった父親より年上です。

この人に出会わなければ、今の自分はありません。

心から感謝をしていますが、徹底的に鍛えられました。

絶えず「怒られる」のです。また、社長さんの要望に対して「出来ない」とは言えないのです。特に某メーカーの有力店であったので、そのメーカーの商品に対しては、全く妥協してくれませんでした。

建材店を担当していれば日々、いろいろな事があります。欠品や受注品の納期短縮、価格値引き、クレーム、特注加工依頼等。

例えば商品を特注する場合、大手メーカーは決して特注の範囲外のものはうけてくれません。商品担当の窓口レベルて「無理です 出来ません」と簡単に断られます。

これをそのままその社長に伝えると、大変なことになります。

「範囲外だからできません」では、すまされないのです。

それからが大変です。いろいろなメーカーの人脈を頼って交渉、お願いが始まります。

当時いろいろな事しましたよ。本社まで出向いて直談判した事も。

普通では、考えられないものをお願いして助けて頂きました。
それも比較的柔軟な対応が出来る中小ではなく、大手、超一流メーカーに。

と言うのも、その建材店の売り上げが地域で一番だったから、その社長が怒ればタダですまないと言うことで、まわりも協力せざる得ない状況であったのです。

非効率で高コスト体制でしたが、売り上げが全てを癒していた時代でありました。

私は三十二歳で、全く異業種のマックからこの世界に入りました。

当時、建築知識もなく全然使い物にならない自分を、自社の担当にするようにと指名してくれたのはこの社長で、年齢的に後がないと言うところを救ってもらった事には、大変感謝しています。

でも、気に入らなければ「取引停止」や「担当変更」でプレッシャーを掛けられました。無理な要求を拒否すれば、私の目の前で会社の取締役に苦情の電話やFAXを入れられました。

正直言って大変苦労をしましたが、私の売上金額と会社でのポジションは確実に上がっていきました。

しかし振り子のようにバランスが取れており、お店近くに来ると胃が痛くなったり、店の前に来ても、入れなくて一度通りすぎてみたり。

「上手くいかないのは全ておまえ責任だ」とも。

私に期待して、ハードルを上げてくれていたのでしょうが、納得できないことばかり。

我慢の限度で、一度手が出そうになったことも。

精神的には相当きつかったですね。

なにが一番きつかったかと言えば、こんなことは「絶対不可能」といった宿題を出される。

「そんなことは出来ません」という言葉は決して使えない。期限を切られる。

夜も眠れないくらい毎回悩みました。考えても考えても答はでない。

ストレスが蓄積。毎日プレッシャーを掛けられる。

でも、ある時ふと気が付いたのです。こんな問題を考えても無駄って事が。

「この問題に答なんてない」ってことが。

ということは、右と言っても怒られる。左と言っても怒られる。結局何を言っても怒られる。

最初から怒るつもりで出されている問題。こちらの出方を待っているのです。

過去の成功事例を振りかざすコンサルタントも、このようなパターンが多い。

上手くいかなかったことを「後付け」して言います。

いくら意見を言っても、過去の成功経験をかさにして、抑えつけられます。

こちらが右と言えば左と言うし、またその逆でも同じ。

彼らは意見を聴く耳はもちません。成功事例コンサルタントは常にクライアントより、上位でなければなりません。

そうでなければ、自分が存在するという意味がなくなるからです。

だから、失敗理由を探してピックアップする事には長けています。

「それなら何故最初に言ってくれなかったの」という事が多いのは、原因を後付するからなのです。

成功事例が彼らの命ですから、元々できる要素を兼ね備えた人しか相手にしません。

流れが悪くなり始めると、自分の汚点にならないようにスッといなくなります。

結局、答のない問題に振り回されても、成長は期待できません。

まともにぶつかってもネガティブモードになるだけです。

要するに、この人達は応酬話法(ああいえばこういう)を行なっているだけであり、答はないのです。相手を自分のペースに引きこむテクニックであるのです。

言葉のトラップを張っているだけなのです。

そんなパターンでマインドコントロールされている人たちは、非常に多い。

「僕の言うとおりやっていれば売れる」というコンサルタントの言葉は、高校時代のバスケット部の顧問を思い出させます。

「お前ら余計なこと考えるな 俺の言うこと来ていれば、大阪位優勝できるんだよ」

私のような、「話ながら興奮する正面からぶつかってしまうタイプ」は、見事にこのトラップに引っかかってしまいます。

住宅営業には、応酬話法が必要であると研修では言ってましたが、何か透明性が感じられません。

住宅営業は、紺のスーツに七三分け、来場者には当日訪問。これ基本。

心の付き合いでないのは、確かであると思います。

この辺が、住宅会社という気質より「工務店」なんでしょうね。

IQで売れる時代の終焉、これからはEQで売れる時代へ。

スマートな住宅会社スタイルもいいですが、人間臭い地場工務店スタイルは決して忘れてはいけません。

自分は販売ロボットにはなれませんし、なりたくもありません。